〜東日本の災害を乗り越えるために〜
今こそ日本人の心を取り戻そう


最大の国難と御皇室
 3月11日の東日本を襲った災害は、我が国を戦後最大の国難に陥れた。犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、大切な家族を失い、住み慣れた家を流され、今なお厳しい避難生活を余儀なくされながら懸命に頑張っておられる多くの方々のことを思うと心が痛む。一日も早く以前の生活に戻れるよう願って止まない。
 いま、日本国、或いは日本国民がこの試練をどのように乗り越えるのかが問われている。 振り返えれば、我が国には元寇、黒船来航の明治維新、そして先の大戦での敗戦等いくつもの国難に遭遇してきた。その度に日本国民は御皇室を中心に心を一つにしてこの苦難を乗り越えてきた。
 今回も、天皇皇后両陛下におかれては、ご自身の体調の不安を抱えながら、復旧の支障にならないようにと自衛隊のヘリで飛んで行かれた。ひとり一人、膝を折られ手を取り、人々を励まされた。
 常に世界の平和と我が国の安寧をお祈りされている御皇室の伝統は、2600年以上にわたり引き継がれているのである。


国家・政府の役割
 しかし、こうした国難に際し、国家、国民のため命をかけてその役割を果たすべき立場にあるはずの首相や、政府の責任者は何をしているのか見えない。すでに5ヶ月も経つというのにがれきの処理さえも進まない。原発事故も東電に責任を押しつけたままで、放射能に関する正しい情報を知らせず、いたずらに風評被害を拡大させて他人顔ではないか。
 そして、この期に及んでもなお自分達の選挙や、党のことしか考えず、醜い権力闘争に明け暮れているという情けない状況にある。 特に、国を預かる最高責任者である首相が権力の座にしがみつく様は誠に見苦しく見るに堪えない。口では国難を言うものの、国民のため命をかけてその責務を果たそうとしているようには思えない。


敗戦からの復興

 さて、我が国にとって最大の国難は、大東亜戦争の敗戦であろう。本来、攻撃すべき対象にならない一般市民を対象に絨弾爆撃が行われ、全国の主要都市が壊滅的な被害を受け、更には、人道上使うことの許されない原爆までが広島、長崎に相次いで投下されたことである。
 しかし、この最大の国難を我が国は世界が驚くスピードで乗り切った。その要因は、まさしく天皇陛下を中心に国民が心を一つに日本国の再建に取り組んだからであったことを忘れてはならない。
 終戦後間もなく、陛下は国土の復興を願い植樹祭を立ち上げられる。宿泊場所もないため、学校や列車の中で寝泊まりをするという厳しい全国行幸であった。当時の連合国最高指令官マッカーサーは「天皇は戦争責任が問われ酷いことになるに違いない」と思いながら、行幸を認めた。
 しかし、誰一人として、天皇の戦争責任を問うような者はおらず、国民は日の丸を打ち振って熱烈に歓迎したのであった。実質、敗戦後の復興はこの時からスタートしたのだ。


日本人のDNA
 人は、愛する家族や敬愛する人のためにということでなければ頑張れない。特に、日本人にはこのDNA遺伝子が強い。戦後の人権教育で少し弱くなったかも知れないがまだ残っている。今回の被災の状況は世界に発信された。家族を失い、悲しみのどん底にありながら取り乱すことなく冷静に耐えている様子に、各国はこぞって「暴動も略奪も起こらないなんて自分たちの国では考えられない」、「地球上にこんな国は日本以外にはどこにもないだろう」等と高く評価し、親愛と支援の気持ちを表している。この辛抱強いという日本人特有のDNAは、大切に受け続けなければならないものだ。
 政府に求められるのは、このDNAに沿った復興の道筋を明らかにし、責任を取る覚悟を持つことなのではないか。そのことで、国民は心を一つにし、大災害を乗り越える勇気を奮い起こすに違いない。


日本の再生
 困った時によく分かるのが、真の友情だと言われているが、国家間でも同じことだ。支援の手を差し延べようとする国がある一方、火事場泥棒よろしく、今がチャンスと支援はおろか、我が国の領土を奪いとろうと企てる国もある。都合の良い時だけの友好国もある。
 今後の国家間交流に生かさなければならないのだが、何故か政府は各国の義捐金の額を明らかにしない。
 敗戦後、我が国は日本人の心を失い、押しつけの価値観、愛国心のない、いびつな国家運営を強いられ、根無し草の如くさまよい続けてきた。今では、そのいびつさが当たり前になっているが、このことこそが大きな問題だと思うのである。




「新風会」団長に就任


 4月10日の岡山市議会議員選挙では、多くの皆様方に多大なご支援を賜り誠にありがとうございました。お陰で、4期連続当選という栄光を勝ち取ることができました。お礼がいささか遅きに失した感は拭えませんが、どうぞお許し下さい。
 思い起こせば、毎日毎日事務所で我がことのように熱心にお手伝いをして下さった方を始め、様々な分野で多くの人達にお助け頂きました。心から感謝御礼申し上げます。皆様方のこの熱いご支援にお応えするためにも、政令市岡山の更なる発展と地域の諸課題解消のため、更に精進して参ります。
 さて、良くも悪くも議員の世界は、国から地方まで当選期数が物を言う世界です。今回の選挙で、先輩議員の引退等があり、岡山市議会で4期以上の議員の数が15人と限られてきました。
 本会議場の議席の位置を始め、様々な場面で、ついにベテラン議員の仲間入りをしたな、果たすべき責任や役割が随分と大きくなってきたなと、実感させられます。
 その一つが、改選後、我が会派「新風会」の代表役である団長という重責を担うことになったことです。代表者の仕事は、会派内の取りまとめと対外的な交渉が主な仕事です。
 また、会派の代表者で構成する代表者会議は、議長の諮問機関で、議会に諮る前の話し合いの場です。ここでのやりとりは原則非公開で、特に重要案件の調整を行うのが主な目的ですので大きな意味を持ちます。
 また、改選後は1名減の8人となりましたが、良識ある保守系会派として、高い理念を掲げ、「新風会」所属議員8人の結束を高め、岡山市議会の中心的な役割を果たして参るよう先頭で頑張る所存です。
 いずれにしても、大きな役割と責任を頂ける議員に成長することができたのも、これもひとえに皆様方のお陰です。そのことを忘れることなく、これからも前進を続けて参りますので、今後ともご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。




「議会改革等推進会議」発足
座長には和気、副座長には松田氏


 7月22日、議長の諮問として「議会改革等推進会議」が各会派2名づつ選出され、計12名で発足した。私が座長、副座長には公明党の松田議員が就任した。
 連合町内会、連合婦人会、商工会議所からも要望書が出されているように議会改革を求める市民の思いは強い。厳しい経済状況で民間はリストラ、賃金カットで苦しい思いをしているが、市議会議員は大した仕事もせず多額の報酬を貰い、悠々と暮らしていると思われている。「議員はこの民間の苦しさが分かっているのか、分かっているなら自分たちでどうにかしろ」と言うのが本音なのだと受け止めている。
 一方、こうした時流に流されるべきものでないし、議員の側に立てばそれなりの言い分もある。だが、世論の動向に敏感であり、少しでも効率よく、質の高い議論を展開し、執行部を厳しくチェックすることは、議員として忘れてはならない姿勢であり、議会としても常に追い求めていかなければならない課題である。
 ただ、「議員定数や報酬の適正な基準は何なのか」、この答えを出すのは結構大変なことである。良識ある世間の声に耳を傾けるとともに、自分たちのことだけでなく、未来の議員、将来の議会に対する責任を感じながら判断しなければならないと思っている。
 いずれにしても、この推進会議に対する関心は高い。様々な意見をぶつけ合う様子を是非とも市民に見て貰いたい。「議会とは何なのか」、「議員の仕事は何なのか」を共に考える機会になればいい。結果、なるほどと思えるような筋の通った改革案が生まれるのではないかと思っている。ちなみに、議員定数議論では、政隆会が先の6月議会に提出した案が9人削減の43人。結果はご承知の通り、記名投票までした意味合いのない継続審議となった。従って、43人案に答えを出さなければ次のステップに進めない状況になっている。
 ともすれば、まとまらないことを見込んだ上で、大胆な議員削減と報酬削減を掲げ、我が会派こそが改革の旗手であるとのパーフォーマンスをやりたがる節があるが、こうした動きを厳に慎まなければならないのは当然なことだ。議員定数については、「早く決めてもどうせ選挙は4年後、慌てて決めなくても」という声もある。軽々な発言は慎まなければならないが、今年中には決着させるべきではないかと思っている。
 さしあたり、本推進会議では他都市に比べ飛びぬけて長い本会議の審議時間をどう短縮させるのか。また、現在凍結している海外視察についての議論から始めることになる。
 また、各地方議会がこぞって議会基本条例を制定している動きがある。そうした動向を注視しながら、情報公開の要であるインターネット中継、市議会報告会の開催等について議論をするつもりである。








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