【高松・足守】和気たけし市政報告会
    高松公民館熱気に溢れる


 昨年11月15日(土)、高松公民館において高松・足守地域の皆様方を対象に市政報告会を開催させて頂いた。この集会を企画して頂いたのは、「和気たけし備中後援会」の皆様方で、何から何までお世話をいただいた。
 初めてお目に掛かる方ばかりで、160名を超える予想外の人数となりうれしい悲鳴を上げるほどの盛況となった。その為、用意していた椅子も資料も足りず大慌てで準備をしなければならないという不測の事態が生じ、開会が少し遅れるという不手際があった。
 改めて、お忙しい中わざわざお越し下さった皆様方に心から感謝御礼申し上げますとともに、数々の失礼をお許し賜りますようお願い申し上げます。



農家の長男として生まれる

 私は、御津郡今村大字田中という正に、一面平野の田んぼという環境で、農家の長男として生まれ育った。当時この地帯は全国的な「い草」生産の中心地であり、水田のほとんどに「い草」の作付けをしていた。
 この作業は、真冬に氷を割りながら植え付けをし、灼熱の真夏に刈り取る。暑さに加えて、朝早くから夜遅くまで長時間労働という過酷な作業であった。県内外から人夫を雇い入れており、猫の手も借りたいほどの忙しさだったので、私も幼い頃からよく手伝いをさせられた。
 そんな厳しい現実を見れば農業を敬遠する。高校は岡山工業高校の土木科を選んだ。
 その後、広島工業大学へと進み、市役所に奉職、土木技術者として区画整理、農林、公園、開発指導等の仕事に熱心に取り組んだ。また、その間、一級土木施工管理技士、宅地建物取引主任者等の資格も取得したので、こうした分野では、最も詳しい専門家の議員の一人だと自負しているし、皆様方の相談に乗れることができると思っている。
 その後、市議会議員選挙に挑戦することを決意し、50歳で市役所を退職した。家族中「定年まで勤めるべし」と大反対であった。
 さらには、選挙に対する知識は全くない。何から始めていいのかも分からず教えてくれる人もいない。今から考えれば無謀な決断で、自分のわがままをよく認めてくれたものだと思う。


高松は特別な場所

 私は地元の人間ではない。しかし、この地は私にとってシンパシーを感じる場所である。なぜなら、私が住んでいる地域が純粋な農村地帯であったことを考えれば当然のことなのだが、地域の指導的な立場にある者のほとんどが、新しい農業を目指し高松農学校に学んだ人達であった。余談だが、私の父も、2人の叔父もまたここで学んだ。県内有数の農業学校出身の優れた人材が私の周りに大勢いるからである。
 また、正月は最上稲荷に参拝し、重大な行事の願い事は吉備津神社でご祈念をして頂くというのが我々の決まり事だ。こうしたことから、この地は、我々にとって特別な存在なのである。
 地球の美しさは、遠く宇宙から見なければ分からないと言われるように、少し離れてみればその良さが見えることも多い。外からの視点が重要だと言われる所以である。


歴史遺産の宝庫

 高松・足守地域は、誇るべき歴史遺産が無数にある。しかし、そのありがたさを地元自身が分かっていないように思う。
 特に、造山古墳の価値は国内有数のものだが、いまだ眠ったままで十分に解明されていない。そろそろ眠りから覚めさせる必要がある。
 現在は、古墳群のうち、千足古墳を調査中だが今後、岡山市教育委員会は予算を大幅に増やし、積極的に取り組んでいく方向である。
 調査が進めば、多くの謎が次々と解明され歴史上の大発見に繋がる可能性もある。そうなれば、ここに日本中の歴史フアンが殺到するに違いない。
 また、軍師黒田官兵衛のNHK大河ドラマのお陰で多くの人が高松城跡を訪れているようだ。水攻めという天下の奇策を用い攻め落とした官兵衛とともに、武士道を貫いた高松城主・清水宗治侯の名君としての生きざまに光が当たっている。
 足守藩木下家のお水公園を中心とする一帯は、歴史的にも興味深く魅力的な街並みだ。他にも、吉備津神社は由緒ある官弊中社だが、残念にも賑わいを失いかけている。
 吉備津神社を中心に、ロマン溢れる「吉備津彦命」と「うら」との壮大なスケールで繰り広げられる伝説は魅力溢れる物語だ。近郊にある史跡を含めもっと光を当てるべきである。


観光と地域振興

 観光客が大勢訪れることが、その地域に暮らす人たちにプラスになるかといえば、必ずしもそうとは言い切れない。
 例えば、正月に最上稲荷には大勢の参拝者が訪れる。大変な交通渋滞が発生し、沿道に住む人々にとっては車で外に出られない不自由さを強いられる。また、渋滞した車から田んぼや畑にごみが捨てられ、迷惑を被っている方も少なからずおられる。飲食店や、土産物屋など一部の者が潤うだけで良いことはない、との意見もあるだろう。観光にはこうした側面がつきまとう。
 一部のマナーの悪い観光客のせいなのだが、適切な対策を講じて乗り越えなければならない課題であり、これらの対策がきちんとなされて初めて地元住民に取って満足感があり、観光客にとっておもてなしを感じる観光地になる。
 だからといって、観光に過度に依存した地域振興を目指すのも如何なものか。人気や景気に大きく左右される側面があり、安定した産業とは言い切れないからだ。
 観光と並行し、この地域の持つ特色を生かした農業振興や産業誘致にも取り組んでいくという、バランスの取れた足腰の強い地域づくりを進めることが肝要である。


調整区域での地区計画

 岡山自動車道のインターチェンジの所在地が岡山市にあるにも関わらず、「岡山総社インター」という名称が付いているように、また、国道180号の幅員も総社側が片道2車線であるように、総社市にとってはこのインターの位置付けを重要だと捉えている。
 一方、岡山市側の取り組みは弱く大きな格差を生んでいる。その原因は関心の差によるものだ。つまり、地元の政治家やリーダー達がそうした役割を果たしていない。地域の未来を地元で共有できるグランドデザインがないからだ。
 地域の未来図は、行政が勝手に描いてくれるのではない。住民自らが立ち上がり、自らの手でその構想を作り上げなければならない。
 この度、岡山市は市街化調整区域でも一定規模の面積で、交通の利便性の高い場所であれば開発を認める地区計画制度をつくった。この制度をうまく活用することを視野に入れるべきだ。
 道路一つを付けるにしても、地権者の協力が必要だが、受益度合いが異なり調整がうまくいかないことがよくある。一定面積をまとめるのはそれ以上に情熱のいる大仕事だが、本気で取り組むのが地域を愛する者の努めだ。
 また、調整区域の農地を保有することがだんだんと難しくなっている。高齢化が進む一方、儲からない農業では後継者が育たないのであるから当然だ。
 国の農政は、農地を守ることばかり考えているように思える。農地法、農振法の規制は厳しく、自分の土地であっても自由にできない。しかし、皮肉にも守った農地の耕作放棄が増えていく。
 守った農地をどのように活用すべきなのか明確に指し示すと共に、地区計画制度等にはある程度、農地に対する規制を緩め、前向きに協力すべきであろう。


LRT化を活かす

 かねてより、過度の車交通に依存する社会からの転換が議論されてきたが、吉備線のLRT化構想がここにきてにわかに実現性を帯びてきた。 市長の目標とするコンパクトシティ構想の一つだ。
 先般、吉備線のLRT化構想の協議会が発足した。JR西日本岡山支社や総社市、或いは岡山の交通業者との調整を行う組織ができたということだ。ここから先、確実に実現に向かって前進していくことになる。
 吉備線の沿線地域に於いては、LRT化で活性化を図る最大のチャンスが訪れたと言える。スマートなデザインの車両になり、本数も増え駅も増える。それだけでも利便性は格段に向上し、大きな経済効果をもたらすだろう。
 しかしそれは、「待ちの姿勢」であり行政依存である。地元主体の、地元のための活性化策を描く必要があるのだ。
 即ち、吉備線を柱とした公共交通網の再編、観光地との連携などの課題に地元住民が直接関わる事が求められる。
 例えば、どこに新たな駅を作り、駅前をどのように開発するか等、行政任せではいけない。多くの人を巻き込んで、新しいグランドデザインを作る時がきたのである。皆さんと共にその仕事をやりたいと思っている。



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