いじめ問題の解決は急務
   社会の基本的なルールをだれが教えるのか


市民文教委員会に所属


 改選後の常任委員会は、希望どおり市民文教委員会に所属することとなった。市民生活局、市民協働局、教育委員会関係の議案を審議する委員会だ。
 具体的に言えば、新火葬場建設、市民会館の建て替え、市民マラソン、岡山音楽祭等々、市民生活に密着する案件を議論することになる。
 また、教育に関する施策を含む。本市の教育の立て直しは喫緊の課題であり、極めてやりがいのある委員会に所属できたと張り切っている。
 学力の問題もそうだが、それ以上に重大なのが後を絶たない「いじめ」問題だ。


後を絶たないいじめ事件


 先月、岩手県矢巾町の中学2年、村松亮君がいじめを苦に列車に飛び込み自殺した。担任との連絡ノートには「死にたい」等という深刻なメッセージが発せられていたようであるが、担任を始め学校は深刻に受け止めていなかったようである。
 学校や担任の責任は大きいが、この学校だけの問題ではなく、いつどこで起きても不思議ではない。他山の石として、本市に於いても真摯な対応が急がれる。しかしこうした痛ましい事件を担任や学校は何故繰り返し起こすのか。


大津市いじめ事件


 そこで思い出すのが、2011年の「大津市中2いじめ自殺事件」だ。複数の同級生が体育館で男子生徒の手足を鉢巻きで縛り、口を粘着テープで塞ぐなどの行為を執拗に行ったことにより、耐えきれず、自宅マンションから飛び降り自殺したという衝撃的な事件だ。
 学校と教育委員会は自殺後に、「担任を含めて誰もいじめの事態に気付いていなかった」、「知らなかった」と一貫して主張していた。その後、学校と教育委員会はいじめを認めるが、「虐めた側にも人権がある」とし、「教育的配慮」を理由に加害者生徒に聞き取りを行わなかったことを明らかにした。こうした対応を批判する圧倒的多数の声がある一方、驚くべきことに滋賀県知事をはじめ支持する意見もあったのである。
 「男子生徒が先生に泣きながら電話でイジメを訴えたが、対応しなかった」との指摘や、「先生もいじめをみて一緒に笑っていた」などの証言から、いじめの残忍な実態が明らかになるとともに、問題の根深さが浮かび上がった。
 事件前後の、学校と教育委員会の隠蔽体質が問題視された。政府も重大な事態と捉え「いじめ防止対策推進法」が成立したが、果たして機能しているのか。


いじめの発生原因


 学校は教育を担う特殊な場所だ。教師もまた聖職という特別な存在である。親と共に未熟な子供達を社会に貢献する人づくりの役割を担っている。「嘘をつくな」「弱いものをいじめるな」など、集団生活を送る基本的なルールを厳しく教える使命がある。
 また、聖職であるが故に、厳しい言葉や体罰がある程度許容されていたこともあり、校内の秩序を保つことができていた。
 ところが、組合活動は政治運動化し、教師自らが聖職者から労働者になり、師弟関係は友達関係に変わり、子供の自主性尊重の名のもとに放任した。
 こうした変化を受け入れられない熱血教師の多くは、些細なことで暴力教師として、マスコミを先頭に評論家からも徹底的に叩かれ骨抜きにされた。ひとたび、拳骨などふるおうものなら、教育委員会は中身の如何を問わず、体罰教師として厳罰に処した。
 結果、不良少年達に怖いものはなくなった。校外では許されないことも、学校の中であれば誰も止めることはできないし、何の咎めも受けない。やりたい放題の世界ができ上がってしまった。


いじめ防止の困難さ


 こうした経過を見れば、今日のいじめがはびこることは至極当然なことであり、予想できたはずである。だからといって、不良少年達の指導に体罰を認めるべきなどと言うつもりはなく、現実的でもない。
 だとすれば、今すべきことは何なのか。「スクールカウンセラー」、「心理療法士」の配置も悪くはないが、教育には「やさしさ」と共に「厳しさ」の両方が必要である。「やさしさ」のみでこうした事態が解決できることにはならない。
 たとえ担任がいじめを目撃したとしても止めることなどできないし、いくら説教してもどうにもならない。それどころか、場合によれば自分が暴行を受けるかもしれない。そんな不良少年達がいじめを行っているからである。


欠かせぬ警察との連携


 同じようなことは全国各地に無数にあり、苦しんでいる子供達がいるだろう。いじめられている子供達も気が付いていたはずだ。事件にならなければ、いじめからは抜け出せないということを。絶望のどん底にあったはずであり、さぞや無念であったに違いない。
 そもそも、警察権に相当する強制力がない以上、学校でのいじめの解決は不可能だ。だとすれば、学校内であっても、一般社会の厳しいルールを適応させざるを得ない。即ち、暴行や恐喝、強要、窃盗、脅迫という犯罪として扱うことである。些細なことでも警察と連携することにより解決する方法以外、当面見当たらない。但し、教育とは何なのか。学校とは、教師とはという原点を見据えれば、それがあるべき姿と思っているわけではない。
 また、日教組の活動の方針はどうなのか、以前北海道でいじめによる自殺事件があった際、聞き取り調査に反対する運動を展開したと記憶しているが、現在はどうなのか、明らかにすべきではないのか。
 いずれにしても、これまでの「甘すぎた対応」の見直しと共に、社会の基本的なルールをだれが教えるのかという教育の根幹に関わる真正面からの議論が必要なのではないか。




市民会館などの文化芸術施設
  千日前再開発予定地に決定



 7月16日、岡山市文化振興課は、新しい文化芸術施設整備に掛かる候補地検討会において、有識者等からの意見を聴取し、候補地3案に対する整備予定地を千日前市街地再開発事業予定地に決定したことを発表した。
 選定理由は、都心1キロスクエアの南東角にランドマークとなり得る集客力のある新しい文化芸術施設を整備することにより、表町エリアの新たな賑わいを創出させ、周辺に効果を広げていくことが期待できること、敷地にゆとりがあり十分な機能が見込めること等だ。
 一方、厳しい条件が付せられた。有利な財源である合併推進債を活用する為に、平成33年度末までに完成させる必要があることから、平成28年5月までに地権者全員の同意を得なければならないというものだ。
 民間の再開発事業が全員の同意でスタートするには、相当の日数を要するのが通常であるが、今後のスケジュールを考えれば当然と言える。同意が得られない場合は、天神町の後楽館中・高校の跡地に変更となる。
 さて、岡山表町商店街の一部である千日前商店街は大阪の千日前にあやかって命名されたものだ。昔から人や物を大量に捌く海上交通の拠点として存在していた京橋に接していたこともあり、岡山を代表する繁華街として栄えてきた。
 一時は岡山市内における映画娯楽・大衆演劇の中心地として大変な賑わいであった。特に、正月など自由に歩けない程混み合っていた。しかしシネマコンプレックス時代の到来、またそれ以前より指摘されていた大衆演劇の衰退と共に、各館の経営が立ち行かなくなり、次々と廃業する。現在は人通りもなく閑散とし見る影もない。多数のコインパーキングとわずかな飲食店が軒を連ねるのみで、寂しい限りだ。
 以前のように、京橋が海上交通の拠点として復活する訳でもなく、新しい文化芸術施設ができたからといって、一気に往時の賑わいを取り戻すことはできないだろう。しかし、こうした集客施設ができることは、地元商店街や周辺に夢や希望を与え、街に活力を与えるきっかけになるに違いない。




成功させよう岡山マラソン
  11月8日開催せまる



 平成27年11月8日(日)に開催される第1回おかやまマラソンがいよいよ間近に迫ってきた。マラソン、ファンランの2種目に県内外から1万5000名のランナーが岡山の魅力を感じながら紅葉に彩られた街並みを駆け抜ける。県民・市民みんなで参加「走る」「みる」「支える」大会を目指してみんなで盛り上げた。
 コースは、長時間に亘る交通規制を伴うことから混乱を避けるための配慮を優先させたものだが、それでも岡山市内中心部の大通りや水と緑豊かな街並みを走り抜ける。様々な魅力を感じてもらえるだろう。
 秋晴れの爽やかな“晴れの国岡山”を、気持ちよく実感して頂けるための様々な工夫をしている。大会アドバイザーとして山口衛里氏(元天満屋陸上部)が、ファンランで一般ランナーと一緒に走るなど、大会の盛り上げに一役買っている。
 また、第1回おかやまマラソンの成功に向けて、ランナー配布物の封入、ランナー受付、手荷物預かり、スタートエリアでのランナーサービス、給水・給食、コース(沿道)整理、フィニッシュエリアでのランナーサービスなど大会を支えていただくボランティア4000人の協力体制も整った。
 記念すべき第1回大会が成功するかどうか今後の行方を決める上で大切である。晴れの国のおもてなしで大成功させ、第2回に繋げたい。




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