【主張】 〜農業は過保護なのか〜


 農業改革の行方

 現在、政府により農協改革が進められている。即ち、全国農協中央会の実質上の解体、分割化である。私もJA岡山の役員の一人として、大変憂慮しているところだ。
 農業の厳しい現状から、農家の農協に対する信頼が薄れ、農協改革がやりやすくなったということである。残念ながら、農家が農協改革に反対していない以上、農業委員会改革等含め、次々と農業改革が進められるのは必然なのである。
 だとすれば、地方自治体が農家の代弁者になる他はあるまい。一連の改革が、我が国の農業を活力のある産業に向かわせているとは思わないし、農業の崩壊は目前に迫っているとの危機感さえ抱いている。

 農業は過保護なのか

 一般的に日本の農業は保護され過ぎであり、農協や農家が潰れるのは仕方がないことと思っている人は結構多いが、決してそうではない。実は、我が国ほど農業を保護していない国はないということが知られていない。
 700%を超える異常とも思える高い税率の関税を輸入米にかけ、国内市場を外国農産物から守ろうとしている。これがうまくいかず農業は衰退するばかりであるが、こうしたことから過剰に保護された日本の農業というイメージがつきまとう。

 消費者負担から納税者負担へ

 関税をかけて国内農産物を守ろうとする今の施策は誤りと言わざるを得ない。日本の農業は消費者負担を原則としているのに対し、先進主要国は納税者負担の施策なのだ。
 実態を調べると、我が国においては、農業の所得に対する直接支払い(税金)の割合はわずか15・6%、主要国で最低である。広大な農地を有するアメリカにしても26・4%である。EUに至っては軒並み90%を超えている。まるで公務員である。その主な理由は、国境地帯で農家が農業を営むことが国の安全保障上重要な役割を担っているとの考え方が根底にあるからである。
 我が国に置きかえれば、離島や中山間地域の農業が成り立つよう直接支払いをするということだ。離島を狙う動きもそうだが、山間部の水源を求め、その土地を買い占めようとしている隣国の動きに無関心であってはならない。食料の安全保障のみならず、国家の安全保障の観点からも考慮しなければならない。

 日本農業と世界各国との違い

 また、農業の平均経営面積は、EUが日本の6倍、アメリカが75倍、オーストラリアに至っては1300倍と桁違いである。これだけ経営規模に差があると、とても規模の拡大や経営努力、技術力等で埋められるものではない。しかも、アメリカでさえ農業が成り立つ価格と市場価格との差額を政府が全額保障しているのだ。これでは、どう考えても日本の農業が世界で戦えることにはならない。
 こうした事情を知ってか知らずか、「安い外国産があるのにわざわざ高い国産ものは必要ない」、「農業の補助金は無駄なことだ」と経済評論家やマスコミは農協をたたき、農家をいじめている。自らの生命に直結する食料安全保障を崩壊させかねない危機があることにも、また、洪水防止、水源の涵養など多面的機能維持の役割を果たしていることにも触れない。

 直接支払い制度

 遅ればせながら、平成26年度から農家の所得補償、直接支払制度の一つの形態として、法律に基づき多面的機能支払交付金制度が始まった。
 ただし、この制度は農村集落維持のための草刈りや川掃除などに特定したわずかばかりの直接支払いで、EU諸国のそれとは比較にならない。もう少し農家の所得向上につながる施策を打ち出すべきである。
 ともあれ、10アールあたり概ね5000円程の金額だが、農用地を有する集落はこぞって多面的機能支払交付金を受けるよう申請すべきだ。

 岡山の米作り

 岡山平野は米作りに適した土地柄で、おいしいものができるが、普通の白米作りでは経営が成り立たない。雄町米や山田錦などの酒米を作っている農家があるが、酒米が作れる地域は全国的にも限られている。酒米に限らず、今後そういった岡山ならではの米作りに向かうべきだろう。
 また、赤米や黒米に「古代米」という名称を冠して、「古代人が食べていた栄養豊富な米」という宣伝で、俄然注目を浴びている事例がある。
 佐賀の吉野ヶ里、萩市の須佐地区のように遺跡や神話と結びつけている地域もあるようだ。このような取り組みを「吉備の国」岡山でも観光と結びつけ、うまく売り出すことを考えれば面白いと思う。




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