副都心構想から半世紀
   大きく発展を遂げた今地区
      「問屋町テラス」で西の拠点づくりを



「問屋町テラス」完成間近


 今や、岡山で最も感度の高い人々が集まる街に成長を遂げた「問屋町」だが、その拠点であったオレンジホールがこの度生まれ変わる。
 天満屋などが、複合商業施設「問屋町テラス」と称した住宅展示場と商業店舗を10月6日にオープンし、地域活性化を目指す構想を発表した。
 住宅メーカー9社のモデルハウス、2階建ての商業棟を建設する。商業棟には県内企業を中心に、カフェやレストラン、ヘアーサロン、認可外保育所などが入居。その他、敷地内には、定期的にイベントを開く芝生広場や、キッズルームのあるセンターハウス、50台分の有料駐車場を設けるというもの。
 新しくこの構想を打ち出したのは、岡山県卸センターの理事長に新たに就任した西康宏氏。地域と協力し、岡山市の西部地区の拠点づくりに寄与したいと、今後の抱負を述べておられる。
 単にマンション街になってしまうのではないかと案じていたが、地元との関係や岡山市のまちづくりに協力しようとする姿勢は高く評価したい。


今地区の歴史


 そもそも、この地域の発展のきっかけは、昭和30年代半ばに岡山市の副都心構想を掲げた今土地区画整理事業の計画と卸センター誘致に遡る。
 今でこそ、碁盤の目のように整然と道路が配置され、快適な町並みに生まれ変わったが、当時の今地区は、狭い道路がわずかにある見渡す限り水田の広がる農村地帯であった。現在では忘れかけられようとしているが、土壌が適していたこともあり、イ草の産地として全国的にも名をはせていた地区であった。
 イ草の作業は、真冬の寒い中、氷を割りながら田植えのように一本ずつ植え付ける。刈り取りは、真夏の炎天下の中、しかも朝早くから夜遅くまでの長時間に及ぶ過酷な作業で、とても一農家だけではできるものでない。地域全体が競い合い、協力し合っていたからできたものだろう。いずれにしても、地域の歴史として留めおく必要のあるものだ。
 だが、時代は農業の衰退、イ草需要の陰りと相まって、都市化へと急激に傾いていく。


今土地区画整理事業のねらい


 現状の農耕地としての形態では宅地としての利用は望めないことから、土地区画整理事業の実施の機運が高まり、昭和39年今地区の区画整理事業を推進するための開発促進期成会が発足する。
 当時の構想は、全国一の規模を誇る区画整理事業で、岡山市の副都心構想を掲げた。その中核施設に、かつて岡山駅前の本町や表町横の中山下にあった繊維関係の卸売業者からなる「岡山県卸センター」を誘致し、昭和43年に移転しスタートすることになる。


区画整理事業の混乱と解決


 しかし、ここから先が地権者の思惑が交錯し大混乱を来す。つまり、卸センターへの土地の売却費は土地区画整理事業費に充てるべきものであったが、区画整理組合の設立に手間取ったため、作付け補償費などがかさみ、設立前に既に大部分が消費されてしまった。このことが大きな障害になり、区画整理反対・賛成で地域が大揉めし、さらに組合の設立が遅れるという悪循環に陥る。
 「何とかしなければ」と、県・市も解決に乗り出し、紆余曲折を経て、この混乱の責任の大部分を開発促進期成会の役員が負担するということで何とか解決が図られる。昭和45年、今土地区画整理組合が設立され、やっと事業化に至ったのである。
 事業を前に進めるため、断腸の思いでこの決断をした先人たちに敬意と感謝をしなければならない。今日の地域の発展が、この方々の犠牲の上に成り立っているのだということを忘れてはならない。





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