安倍元総理の国葬へ参列


 国葬への招待

 国葬という国の大行事にご招待頂き、岡山市議会を代表して哀悼の誠を捧げて参ったが、思い出に残る場面を見届けることができ感慨もひとしおである。
 思えば、地方の政治家で招待を受けたのは、各県4名ないし6名という僅かな人に限られたものであり、貴重な体験をさせて頂いた。
 式典の開催は午後2時からだったが、知事・議長及び市長・議長など地方の政治家は、少し離れた場所にある平河町の都道府県会館に午前11時に集合し、バスで武道館に移動し、3時間静かに開式を待っという状況だった。
 式典での菅元総理の感動的な弔辞は涙を誘うほど素晴らしいものであった。文学的な表現による呼びかけから始まり、信頼関係があったことを表すエピソードを織り込んだものであった。終わった瞬間には拍手が起こるという葬儀の場では珍しいことがあった。
 会場内は普段は分刻みの公務をこなす要人ばかりだが、不満の言葉が出るようなことは一切なかった。安倍元総理に対する感謝と、ご冥福をお祈りする気持ちをそれぞれが持っていたからであろう。
 会場の外の様子は見ていないが、その後の報道によると、一般の方が献花の為並んでいる列が数キロにもわたっていたということである。それも若い方が多かったという。誰から強要された訳でもなく、自らの判断で、休暇を取り自費で花を買い、3、4時間も強い日差しを浴びながら整然と並んで、凶弾に倒れた安倍元総理の死を惜しみ、献花したのである。これこそが国葬そのものではなかったのかと胸が熱くなる。





 国論は二分していたのか

 マスコミは、国葬を巡り、行うべきか否かで国論が二分しているという。アンケート調査では、反対が遙かに多いとまことしやかに報じるが、私が見た限りでは二分などされているようには思えない。
 様々な意見があって当然だが、安倍元総理は長期にわたり我が国の発展に多大な貢献をした方であった。また、海外の要人からも頼られる存在であった。国葬は当然である。
 何よりも国民から選挙で選ばれた国会議員の殆どが出席したことを見れば明らかなことだ。ごく一部の議員が反対のパフォーマンスを行っているが、行きたくなければ行かなければいいだけのことであって、ことさらに反対を煽り、反対を強要するのは違っているように思う。地方の政治家に於いても、殆どが出席しているのだ。
 様々なアンテナを張り巡らし、情報収集・分析を生業にしているのが報道機関のはずだが、今回は明らかにミスリードであったと言えるだろう。
 更に言うと、当日、国会周辺で葬儀に合わせ大声でそれを妨害する動きがあったと聞く。国葬反対はそれはそれでよいとしても、葬儀の時ぐらいは静かにしておくというのが人としての最低限のマナーではないか。






岡山市にゆかりのある霞が関の官僚・OBで構成
 「 烏城会 」総会へ出席


 令和4年11月26日、烏城会総会に市議会議長としてお招きを受け出席させて頂いた。挨拶では、総会のご盛会を申し上げ、岡山市の状況を報告し、今後の力強いご指導、ご支援をお願い申し上げた。
 烏城会とは、岡山市出身または、岡山市役所に出向経験のある霞が関で活躍する官僚、そしてOBの集まりである。会長は、河野談話に事務方の官房副長官として大きく関わったとされる石原信雄氏。官僚として極められた方である。96歳になられたとのことで、車いすであったが、元気な姿をお見せくださった。
 副会長は、田中角栄元総理の秘書官として「日本列島改造論」の政策立案に大きく携わったとされる、元通産省事務次官の小長啓一氏。92歳とこれまたご高齢であるが、母校岡山大学との関係があり、月に数回は岡山を行き来するとのことでお元気そのものだ。
 監査には、元総務省事務次官で一般財団法人地方債協会会長の香山充弘氏。内山下小、丸の内中の出身ということから、烏城を中心とするまちづくりの方向性に関心を示しておられた。いずれもが国家運営に大きく関わった方々であり、今でも絶大な影響力を示しておられる。本来であれば、そばにも近づけないお歴々だが、同じテーブルでグラスを重ねる機会を頂いた。
 また、副市長として赴任されていた方々と当時の懐かしい話で盛り上がった。それぞれがその後、立派に活躍されており頼もしい限りだ。
 全体を通して感じたことは、この烏城会の存在はあまり広くは知られていないが、岡山市にとって極めて意義深いものがあるということだ。霞が関に岡山を応援する組織があり、貴重な時間を割き、何かあれば岡山の為になろうとの意志を持ち、この会に参加頂いているのだ。
 岡山市の躍進を考えれば、国の事業をうまく活用して行くことが欠かせない。適切な情報のやり取りが極めて重要なことであると改めて認識した次第である。烏城会の存在はそうした意味からも心強い存在である。会員皆様方の今後ますますのご健勝、飛躍をご祈念させて頂いた。






県事業負担金の見直しについて


 岡山市議会では、かねてより岡山県建設事業費市町村負担金徴収条例に基づく岡山市の負担金について、50%という負担率の高さなどを問題として、当局に対し県側と協議するよう求めていた。
 簡単に申し上げれば、県の事業実施に当たり、地方財政法では市町村に負担金を求めることが認められており、それを根拠にした県の負担金条例に基いてのものだが、そもそも負担割合が50%という異常さは、全国どこの都市にも見られないものであり、おかしいのではないかというものだった。市民の税金の使われ方をチェックすべき立場にある市議会としては当然の指摘である。
 今般の9月定例岡山市議会においても、県事業負担金について複数の議員が取り上げ、多くの課題について議論がなされた。つまり、今年度は負担金を当初予算に計上していないが、どうするのかというものであった。
 当局は、早急に協議を行いたいということで、県に話し合いの場を設けるよう繰り返し申し入れしているが、実現に至っていないとの答弁であった。
 議会としては、負担金について十分な協議の上、決まったものであれば、余程のことがない限り異論を挟むべきものではない。しかし、繰り返しになるが、そもそも負担金は市民から徴収した税金である。市議会としても、市民に対し、納得できる十分な説明が示されなければ支出の予算を認めるわけにはいかない。
 県・市がお互いに各種事業を県民・市民の福祉向上を図ることを優先に取り組んでいる自治体であるはずだが、知事との話し合いが実現できていないと聞く。
 いずれにしても、今般の課題が解決されないまま推移することは、このたびの総合グラウンド大型設備更新事業のみならず、今後の同種事業を円滑に推進していく上でも、更には県・市の全体の関係を考えても決して好ましい状況ではないと憂慮している。
 市議会として何ができるのか、また何をすべきなのか熟考しているところだが、市民に説明するうえからも、知事に対し市長と率直に話し合いをするよう求める要望書を議長名で提出することを全会派一致で決めたのである。






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